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大阪高等裁判所 昭和30年(う)2718号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を神戸地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の理由は、記録に綴つてある神戸地方検察庁検察官寺西博名義の控訴趣意書中三枚目裏面末尾より三行目「同警部の公判廷における供述及び西栫巡査作成の当該供述調書の記載」を「西栫巡査の公判廷における供述、同巡査作成の当該供述調書の記載及び同調書に押印せる前田警部の印等」と訂正する外、右控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

第二点について

原判決が本件被害者は犯行の際既に犯人を知つていたに拘らず、一年余を経過した後初めて権限のある司法警察員に対する告訴をなしたものであることが認められるから、本件告訴調書は被害者が犯人を知つたときから六ヶ月を経過した後の告訴に係るもので、刑事訴訟法第二三五条第一項に違反しその効なく本件公訴の提起は無効であるとして公訴を棄却したことは所論のとおりである。しかして原判決は被害者が犯行当時犯人を知つていたと認むべき理由として、「被害者は本件犯行の際その直前犯人より話しかけられて同人と種々会話を交えた後、本件犯行に逢うに至つたもので、犯人との正常非常の交渉は前後数分間に亘つており、しかも当時は盛夏の候の正午近くの白昼であり、犯人を認識するに困難な状況ではなかつたものであること、従つて被害者はその後西栫巡査の面接させた全容疑者についてはすべて即座にその人違いであることを明言した一方、被告人の検挙後昭和三〇年九月一七日初めて示された被告人の写真に対しては即座にその犯人に該当することを言明した外、その後三田警察署及び当公廷において被告人を示された際もその容貌音声等の綜合により犯人と思う旨供述している点等よりして、犯行後一年余を経過した後に至りなお犯人を他人と識別特定し得る程度の印象を持続し得る如き明瞭な犯人の同一性に対する認識を得ていたもの」と説示している。しかし原判決が引用する証拠に司法巡査平岡義基作成の捜査復命書を参照すれば、

本件被害者Tは、犯人は犯行当日偶々路上において出会つた未知の人であつて、その氏名、住所職業はもちろんどこから来てどこえ行く者であるかの見当さえつかず、只人相着衣等につき認識があるに過ぎないというのであり、従つて犯行直後被害の届出を受けた所轄巡査駐在所の西栫巡査は、被害者から聴取した犯人の人相や着衣等に基いて、直ちに前科者や行商人等につき捜査したが容易に犯人の目星さえつかず検挙するに至らなかつたところ、昭和三〇年九月一日頃容疑者と目された谷口周一郎の偶然の供述により、被告人を被疑者と認められるに至つたことが認められる。

元来刑事訴訟法第二三五条第一項の犯人を知るとは犯人の誰であるかを知ることをいうのであつて(大審院昭和六・一・二七判決、集一〇巻一二頁参照)、その住所氏名の詳細を知る必要はないとしても、少くとも犯人を他の者と区別して特定し得る程度に知ることを必要とし、単に人相着衣を知るのみでどこの誰とも判らない様な状態では未だ犯人は特定せず、従つて未だ犯人を知つたものとはいえない。しかして本件被害者の犯人に対する認識は前叙のとおりであるから、犯行当時においては原判示の如く昭和三〇年九月一七日捜査当局より当時逮捕されていた被告人の写真を示され、その犯人に該当する旨供述しているのであり、その写真によればそれが何人であるかを特定し得るのであるから、被害者はこの時において始めて犯人を知つたもので、それまでは単に容疑者が検挙せられた場合、その人相等により犯人であるか否かを識別し得るに足る記憶を有するに過ぎなかつたものと認むべきである。しからば本件被害者が刑事訴訟法第二三五条第一項にいわゆる犯人を知つた日は犯行当日ではなくて、犯人を特定することができた昭和三〇年九月一七日であるというべきである。

さればそれより六月以内なる同月二一日被害者が司法警察員に対してなした告訴は適法有効なものと解すべきにかかわらず、原判決が冒頭掲記の如く説示して本件公訴を棄却したのは違法であつて、この点においてとうてい破棄を免れない。

よつて爾余の論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法第三九七条第一項、第三七八条第二号、第三九八条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 国政真男 判事 石丸弘衛 判事辻彦一は出張中につき署名捺印することができない。裁判長判事 国政真男)

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